ASSASSIN'S CREED Wiki
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共和国としてのヴェネツィアが成立したのは7世紀末のことだが、それ以前からここには、ロンバルト人から逃れてきたビザンティン帝国の入植者たちが暮らしていた。中世になる頃には、ヴェネツィアは一大海洋国家として発展を遂げていた。ヴェネツィアはアドリア海の要所に位置し、内陸に品物を運ぶ商は必ずここを通過しなければならなかった。そのおかげでヴェネツィアには、文字どおり巨万の富がもたらされたんだ。

中世の終盤になると、ヴェネツィアの影響力は近隣諸国と教会の両方に及ぶまでになった。1202年には第4次十字軍が興されたが、聖地へ行くためにはヴェネツィアの船が不可欠だ。そこでヴェネツィア総督エンリコ・ダンドロが出した条件は、ダルマチア地方の都市ザタールを奪い返し、さらにはコンスタンチノープルを占領するというものだった。

十字軍がコンスタンチノープルを陥落させると、ヴェネツィア艦隊は街を略奪した。サン・マルコ大聖堂にある4頭ののブロンズ像も、このときに持ち帰ったものだ。宗教を口実にすると、人間ってのは何でもやらかすものさ。

ヴェネツィアがますます豊かになるのにともなって、艦隊もどんどん強大になっていった。海戦によってヴェネツィアはビザンティン帝国やハンガリーの領土を奪い、ジェノヴァ艦隊を撃破した。ヴェネツィアの富と海は切っても切れない関係にあり、総督がラテン語で「海よ、真にして不滅なる主のしるしにおいて、我は汝と契りを結ぶ」と唱えながら指輪を海に投げ入れるのが毎年の慣例になった。海を神格化することに眉をひそめる者も多かったろうが、教皇もこの婚姻に許しを与えていたそうだ。

15世紀末の時点でのヴェネツィアは、おそらく世界で最も豊かな都市だったろうし、街の規模だってパリに次いでヨーロッパで2番目だったが、それだけに敵も多かった。スペインフランス、神聖ローマ帝国、そしてハンガリーが、教皇ユリウス2世とカンブレー同盟を結び、ヴェネツィアを叩こうとしたんだ。

だがヴェネツィアはこの逆風に耐え抜き、何度も壊滅的な敗北を喫したにもかかわらず、最終的には領土を守り通した。だが、ヴェネツィアがさらなる発展を遂げることはついになかった。18世紀にはトルコの攻撃を受け、ヴェネツィアはゆっくりと衰退を始める。そして1797年、ついにオーストリアに支配権を奪われてしまうんだ。

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