ASSASSIN'S CREED Wiki
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フォルリに人が住むようになったのは、紀元前798,000年頃のことだ。ここに住んでいた旧石器時代人は、火打石に関心があったらしい。以来フォルリは、産業の中心地として栄えてきた。紀元前188年、フォルリの街はその名の由来となったローマ人たち(フォルム・リヴィイ)によって、この地のガリア人たちを平定した後に敷かれたいくつかの街道の1つであるヴィア・アエミリア沿いに築かれた。ローマ帝国滅亡後、その支配権はロンバルト族の手を経てやがて教会に移ったが、889年には共和国として独立。これに激昂したヴァティカンは、以後400年間、再びこの地を支配しようと躍起になる。

ローマの干渉に加えて、フォルリは絶え間なく侵入してくるゴート族やビザンティン帝国、ロンバルト族、フランク族といった外敵にも苦しめられたし、毎年のように発生する洪水にも対処しなければならなかった。付近の河川の流れを街の中心からそらすことによって洪水の心配がなくなったのは、実に1050年のことだ。

共和制を敷いていた独立国家の多くがそうであるように、フォルリも13世紀末には軍事独裁制に移行し、街の支配権はオルデラッフィ家によって継承されることになる。この一族の紋章には、嬉しそうに舌を突き出したライオンが描かれているが、愉快なのは紋章だけだ。

1480年、オルデラッフィ家内部で継承権を巡る争いが生じると、この機に乗じて教皇は甥のジローラモ・リアリオを街の支配者に据えた。だが、事は教皇の思いどおりには運ばなかった。ジローラモが暗殺されると、女傑として有名なカテリーナ・スフォルツァが後釜に座り、ヴァティカンの支配をはねのけようと猛然と戦ったからだ。だが残念なことに、結局カテリーナは破れ、フォルリは教会の手に落ちたんだがね。

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