ASSASSIN'S CREED Wiki
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もともとは西暦135年から139年にかけて建設されたローマ皇帝ハドリアヌスの墓で、アウグスティヌス帝の霊廟よりわずかに大きく設計されていた。同じような例はもう何度も見てきたわけだが、大きいことは良いことだってわけさ。

墓が要塞に改築されたのは401年のことだ。だが、早くも410年には、西ゴート族に略奪され、ハドリアヌス帝の遺灰はあたりにぶちまけられた。そしてその後、ここは再びリサイクルされる。要するに、ちゃっかりとヴァティカンがここを自分たちのものにしてしまったんだ。

14世紀には墓から教皇の居城への改築が行われ、サン・ピエトロ大聖堂とここを結ぶパッセット・ディ・ボルゴという秘密の通路も作られた。ルネッサンス期の教皇はあきれるほど残酷だったが、そのことを反映して、この城にはきらびやかな居室と牢獄が同居している。有名な科学者で神秘主義者でもあったジョルダーノ・ブルーノが、6年ほど閉じこめられていたのも、ここの牢獄だ。城内の小さな中庭は処刑場として使われていたが、それだって教皇を楽しませるためだったんだ。

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